FDAの歴史

 FDAの前身は1862年に新設されたアメリカ農務省化学部門です。この時より粗悪な食品や医薬品についての調査が始まりました。農務省化学部門は数回の改称を経て、現在の連邦食品医薬品局(FDA)となりました。

FDAの歴史と食品・医薬品法の変遷

1820年
11人の医師がワシントンで会合を開き米国薬局方を策定する。この米国薬局方がアメリカ国内で初の医薬品の基準であった。
1848年
医薬品輸入法が制定される。この法律は税関へ粗悪な医薬品の輸入を防止を要請するものであった。
1862年
時の大統領リンカーンよりチャールズ.M.ウエザリルがこの年、新しく設立されたアメリカ農務省化学部門の部門長に任命される。
1872年
ピーターコリアーがウエザリルのポストを引き継いだ。
1880年
ピーターコリアーは彼の有害な食品に関する研究成果を元に国家食品医薬品法を提案したものの否決された。しかし、その後、25年間にわたり、100以上の食品及び医薬品のデータが議会に提出された。
1883年
ヘンリー.W.ワイリーが新たに化学部門長に任命され、有害な食品に関する研究が促進された。
1897年
茶輸入法が可決したことにより、税関は輸入される全ての茶の検査が輸入者の費用負担によって可能になった。
1898年
公的農芸化学者協会(現在のAOAC)が食品規格委員会を設立する。ここで制定された規格を食品の法令に組み込もうということである。
1901年
農務省化学部門が組織の拡大に伴い農務省化学局に改称となる。
1902年
生物製剤制御法が可決される。この法律は血清やワクチンなどの製剤の安全性を確保するために制定された。
議会は5000ドルを食品の保存料や着色料の研究に充てることを承認した。国民も法律制定の促進を支持した。
1906年
粗悪な食品や医薬品を取り締まるための純正食品・医薬品法(PFDA)が成立する。
1927年
農務省化学局が食品医薬品農薬局に改称となる。
1930年
食品医薬品農薬局が食品医薬品局(FDA)に改称となる。
1938年
抗菌剤に用いられた溶剤ジエチレングリコールが原因で子供を中心とした107名が死亡する事件が発生(エリクシール・スルファニルアミド事件)
この事件がきっかけとなり、連邦食品・医薬品・化粧品法(FD&C)が可決する。この法律によって連邦食品・医薬品法には規定されていなかった毒性物質の許容摂取基準などを始めとして、現行の法律につながる概念がいくつか出てきた。
1939年
食品の規格が初めて制定された。(トマトの缶詰、ピューレ、ペースト)
1958年
GRAS物質が初めてリスト化された。
2011年
食品安全近代化法(FSMA)が可決された。本法律は1938年に可決した食品医薬品化粧品法が大幅に修正されたものであり、FDAの権限をより強化するものであった。
2013年
世界的な疫病等をはじめ、緊急事態にも対応できるようにするためPAHPRA法が策定された。